2013年4月11日木曜日

何かの話:マスターは、”えらい”という話。

 TRPGの卓内に於いて一番”えらい”のは間違い無くマスター(或いはキーパーでも何でも同じだが)だろう。卓の準備をし、シナリオを作り(或いは翻訳し読み込み)、判定者としてルールを理解し、プレイヤーの要望を聞きそれを反映する。しかも、それで望んだ通りの楽しさが得られる保証は何処にもない。

 これがプレイヤーの側であれば話は簡単で、楽しめないのであれば参加を拒否すればいいだけの話である…それこそ、「沈黙の夜」となってしまった先月の名古屋の水曜のように(今期はマスターも変更となりいつもより更に盛況になったようで何よりだが)。
 だが、マスターの側はそういう訳には行かず、特にコンベンションのような不特定のプレイヤーを相手にする場合では、プレイヤーとマスターの負う”労力の不均衡”が顕著に出て、労多くして功少ないという状況に陥り易い。こういうった”卓内に於ける労力の不均衡”はどうやっても覆し難く、それが原因で打ち切りになってしまった卓も幾つか知っている。だからといってランダムマスターセッションという選択肢は狂気の沙汰としか思えないが(それ自体が強制とはいえマスターを体験する良い機会にはなるかも知れないが、しかしそれこそ労と功が全く釣り合わず、当人達が望むかどうかに関わらず虎の群れの中に放り込まれた兎という状況にもなりかねない為)。

 マスターの側でプレイヤーを拒否するのは余程の事態でしか有り得ない。私の場合去年1回あったが(それでも拒否ではなく「考え直せ」という要請だった。結果として当人からの参加取り下げとなったが)、基本的にTRPGが大量の時間を浪費する、かつ他者とのコミュニケーションのゲームである以上”レギュレーションで許可されている=何をしても良い”とはならず、他者と、ましてや当日初めて会う相手と楽しもうとする姿勢に欠けていると見えるのであればマスターとしてその考えと態度は改めて貰わなければならないと考えた結果である。
勿論1人が楽しむ為に他の参加者全員が犠牲になるような状況は論外だが、1人が他の参加者全員と別の遊びを卓内で行う状況も問題外だ…ならばわざわざ卓に参加しなくとも、と思うが。

 因みに其処此処で言っているが、私は「TRPGは皆で物語を作る遊びである」という考え方に対して懐疑的であり、それは各人が物語を作ることに熱中する余り、マスターを含めた他のプレイヤーへの配慮を欠いた行動や過剰に求めた結果笑えないレベルの温度差を見たりしたからで、個人の楽しみの為に他者を踏み台にする行動に強い不快感を覚えるからである。勿論、行動の結果としてドラマが生まれる事は否定しないが、ドラマの為に無理を強いるのは順番が逆だろう。

 そしてそういった状況だからこそ私は常々マスターの側より特に初心者のプレイヤーには迅速に明確な意志を記述として示すよう求めている。手段としては主に掲示板等になるが、口頭ではなく記述で行うことにより、言った言わないの曖昧な責任問題の発生が防げるし、マスターも含めた全体での意思統一を行い卓を円滑に進める事が出来る上に、マスターの側でも準備を効率的に進めることが出来る。あまりプレイヤー側は意識していないかも知れないが、マスターの側はセッションを成功させる為にそれなりの(時として膨大な)時間を準備に費やしており、プレイヤー側の要望(こんなキャラクターを使いたい等)が明確であれば、そこに集中することで時間の節約、労力の軽減、更にはプレイヤーをより楽しませる為の準備に時間を確保することが出来る。
特に学生等の場合、自分には無制限に近い時間があるとしても、他者は必ずしもそうではなく最悪の場合睡眠時間等の重要な生活時間を削る羽目に陥るということは覚えておいて欲しい。
書く事がないのであれば、挨拶や希望するクラス、役割程度でも良い。それがあれば特に親切なベテランは道を譲ってくれることだろう(これはマスターの側からもお願いしたいが、特に初心者も居るセッションではベテランは自分の事しか考えていないようなキャラクターの持ち込みは極力避けて欲しい)。
また、セッション中に寝るのは勿論論外だが(「退屈な卓だから眠くなった」と言われれば返す言葉も無いが)、前日の睡眠不足を自慢げに話されるのも同様にあまり気分が良いものではない。大体それを言うには目が離れ過ぎだ(「前の晩に遊びすぎた」という理由でセッション中の8割の時間眠られた時には得体の知れない何かが湧き上がりかけたが)。

 そして、マスターの側としては初対面や交流の浅いプレイヤーがどの程度ルールに精通しているかを知る方法は無い為、特にキャラクターの構築関連では理解らない事や知りたい事があればまずマスターに聞くのが一番早いだろう。マスターは基本的にシナリオの回答を持っているのだから的外れなモノを勧めてくることは無いだろうし、逆に基本的にマスターの側としてはプレイヤーから求められなければ情報を提供する事が出来ないのである。というのも経験者が兎に角最適論を実践させたがり、初心者はそれを窮屈に感じてゲームそのものから離れてしまう失敗は、私もそうだが多くのd20経験者達がやらかしてしまった過ちではないだろうか?
特にPathfinderの場合金の使い途が理解らず、結果使い切れないポーションを抱え込み余らせてしまったり、資産を8割残してセッションに参加したりという酷い代物を見るにそう思う。

 私のように(PathfinderRPG限定とはいえ)マスターだけをしていれば大抵幸せな人間でもなければ(マスターの側でしか体験出来ないものもあるにせよ)基本的にマスターというのは割に合わない役割であり、そして「マスターをしてくれ」と頼むのであれば(冗談でもあまり良い気はしないが)、だからこそプレイヤーの側の協力も必要となることを覚えておいて欲しい。

因みに、この場合の”えらい”は三河弁である。

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