2020年7月1日水曜日

Blog再始動の話:Return of the 誰か

 今年は特に状況が状況である為に毎年恒例となっていたDAC愛知の開催が出来ず、また不定期で開催していたオフラインセッションも難しくなってしまった。あまつさえこうして何かを書くのがあまりに久しぶり過ぎる上にモノを読み取る力も書く能力もすっかり衰えてしまったが、それでも己の性分として何かを書かずにはいられない。

 しかし4年も経過すると界隈にも様々な変化があり、中でもPathfinder RPGの翻訳版が出版されたことと協会日本支部が設立されたことは予想外だった。過去にもDAC辺りの集まりで半ば冗談のように話題が出たこともあったが、様々な要因もあり実行されることはなかった。またそれに加えてDISCORDのように容易に交流が出来る環境が出来たことによりプレイヤー人口及び遊ぶ機会そのものが増えたのは本当に喜ばしい限りだと思う。TRPGのような複数の人間が集まって遊ぶ上で何より重要なのは”選択出来ること”であり、プレイヤー、マスターの双方に選択肢が無ければやがては硬化し壊死することになる。

 過去にも「位坂敏樹はTRPGをどう捉えているのかという話。」でも書いたがTRPGの根本は他者とのコミュニケーションであり、全く知らぬ相手とでも円滑に交流を行う為の切っ掛けになり得る共通話題こそがセッションという場だと考えている。

 もう1つ踏み込んだ話をするならば、コミュニケーション能力というのは技術であり、経験により成長出来る要素である。相手に意識を向け、相手の話を良く聞き、自他どちらの失敗や無知を悪と考えず認めて必要であれば学び調べ、自分を過度に貶めずかつ相手に多くを求めすぎない。容易ではないが地味な繰り返しと手痛い失敗を積み重ねていかなければ成長は見込めない、ともすれば万事に於いて軽く派手が好まれる現代向きではないとも言える。それでもこの遊び方を続けるのはこの遊び方でなければ得られないものがあり、更にはこうやって遊ぶことが出来る機会が様々な幸運により存続しているからである。続けていればこそ何かがあるのであって、投げ出してしまえばそれを感じることも出来ない。

 経験則で言うならば、良きにつけ悪しきにつけ積み重なった評判は自分に付いて回るものであり、良いものはいずれ何らかの形で自分を助けてくれるし、悪いものは何処かのタイミングで己に突き刺さるものである。只の娯楽でしかないから自分の楽しみを優先するのも良いが、折角そういった場所に加わる機会が出来たのであれば”皆と楽しむ”ことを選びたい。

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